完成
見学会

2020.09.17

未来工房通信

この手から生まれるもの

福岡県南部、筑後川河口に位置する、江戸時代からの家具(指物)のまち、大川。戦後の復興とともに全国市場へ進出、日本でも有数の家具のまちとなりました。昼過ぎまでしとしと雨が降り続く、湿度100%の暑い日。ある家具工房を訪ねました。

職人がいらない時代になった

大川で手に職をつければ、生活に困ることはない。家をつくる大工だった父を小さいころに亡くし、中学卒業後すぐ家具職人に弟子入りしたという西田さん。大川の家具が飛ぶように売れた高度成長期。しかしその後、安い家具が輸入されるようになり、大川では、まるで対抗するように安いものをつくるようになったそうです。「そうやって、少しずつ技術が失われていった」と、淡々と話してくださいました。

大量生産の家具。どの家にもクローゼットがついて家具そのものがいらない。大川の職人たちは、誰もがそんなジレンマを抱えていたのでしょうか。そんな西田さんの分岐点は30数年前、友人に勧められた初めての個展でした。

使っても、見ても、楽しめる家具

 仕事の傍ら、趣味で作っていたのは釘や合板(ベニヤ板)を使わず一枚板を使って作った一点ものの家具。アート作品のような家具はほとんど、その個展の期間に売れてしまったそうで、本物の家具に価値を見出してくれるお客様がいることを知った西田さんは、個性的な家具を作り続ける道を選びました。

天板は木目を生かしキューブを組み合わせたデザインは、もちろんほぞ組みで作られている。一部は取り外すことができ寸分の隙間もない

柔らかな木目の板が優雅に波打つ。テーブルは水平という常識を覆す独創的なフォルム

芸術家とは違う

西田さんの工房には、訪ねて来られるお客様にはデザイナーから建築家、芸術家と巾が広い。「芸術の道を勧める人もいる」と笑いながら、それでも「私はあくまでも職人ですから」と静かに言い切ります。食器棚を居間に置いた方の「食器を見ながら食事するのが楽しい」という言葉。湾曲したテーブルで「娘の箸が転がっても、食卓のみんながくすくす笑って、食事の時間が楽しい」とはがきをくれた人。こんな言葉が西田さんの喜びだそう。新しいものを考えないといけないと話しながらも、最終的には人が使うもの。それが芸術家とは違う、と言い切るゆえんなのでしょう

二人で座ることもできる「LOVEチェスト」どの作品にも遊び心が光る

真っ直ぐではない微妙な角度を持ったほぞ組み。組めば簡単には外れない。でも外すことのできる先人の知恵と技術の結晶

ほぞ組みの丈夫さ

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: photo-06.jpg

ほぞ組みの基礎は弟子の頃学んだそうですが、シックハウス症候群の方から接着剤を使わないで家具を作って欲しいと注文があり、それがほぞ組みをさらに突き詰めるきっかけになりました。「何十年何百年と使うためにはしっかりしたほぞ組みが必要ですし、何より頭の中に描いたものができあがるのが楽しみで。」それは「仕事」の域を超えているようです。日本にしかないこの素晴らしい伝統技術を使いながら、良いものを作っていきたいと話す西田さんのこれからの作品が楽しみです。

石と木に支えられ座面に鉄板を組み合わせたベンチ。実は、石も、鉄板の部分も全て木でできている。石の部分は防水加工が施され、鉄板にはわざと錆を再現。さらに、板と鉄板は重ねているのではなく、一枚の板から削り出している

木目の美しさが際立つタモ材の背板に、ほぞ組みでしっかりと座面が組まれた椅子は、130kgの人が座ってもびくともしない

一枚板から切り出し、あえてゆらぎを表現した天板を、手仕事の木のボルトが抑える

西田 政義氏
(家具工房西田)

小・中学校時代を佐賀県多久市で過ごす。中学卒業後、大川市の家具工房に弟子入り。大工だった父親の影響で、15歳で家具職人の弟子となり、4年半の修業の後、漆などを勉強し、27歳で独立。稀少な材料を蓄えつつ、40歳ごろから自分のつくりたい家具づくりがメインの仕事となり現在に至る。

風船が椅子を持ち上げたら。

「磁石で浮く椅子」第一号

結び目を削り出し、一台仕上げるのに1日。「記念品にと20台制作依頼があったときは大変でした。ペースが上がり1日はかからなくなりましたが」